アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

「反資本主義」をサラ金社長が叫ぶ

 『もの食う人びと』(角川文庫)は辺見庸氏によるノンフィクションである。

 

 ベトナムチェルノブイリなど世界各地を周り、「食べる」という人間の根源的活動を通して世界の現状をルポするというもの。ルポ自体は非日常的な場所を訪れていることもあって、新鮮で示唆に富む箇所も多い。執筆の動機は新聞記者としての職業柄、世界を〈私という解釈者によってただ解釈されるためにのみある〉ものとして認識していた彼は〈腐食した安物のブリキ板みたいに倦み疲れて〉、「食べる」という行為に立ち返り〈身体性〉を回復したかったということらしい。

 この本はもう10年以上前に書かれたものらしいのだけれど、私はこれを読んでいて最近流行っているという「自分探し」の走りとしか思えなかった。生活の上でもあまりに「自分」とか「人生」とか「生き方」とかいう言葉が氾濫しているし、一種の社会現象なんだろうと思う。

 私がこの本を読んでいて最も気になったのは、なぜわざわざ「非日常的な場所」で食事をしないと「実感」がわかないのか、ということである。もちろん私も自分が普段関わりのない場所で行われていることに関心がなくはないし、読めばおもしろみを感じるが、どうも辺見氏の執筆理由と本文内容との関係を考えると自分の中の矛盾する部分や「所詮他人事」という風に思ってしまう部分を含めて「俺はこういう人間です!」と開き直れていない部分があるとしか思えないのも事実なのだ。今の「自分探し」の本質は「尊敬される職業探し」や、遠く離れた無垢な人間を想定する「癒しとしての他者」や、「予想できるはずの未来が見えない」という文脈で語られるように、今の現状に満足しないことからくる飢餓感や運命など不合理な部分を理解しようとすることの徒労にあるように私には思われる。68億人の人間がいれば68億通りの生き方があるわけで一概にこの生き方が普遍的にいいとはいえないし、誰かの言うとおりに人生が進んだらどれだけつまらないことだろう。と同時に類型化されたイメージの中にあってもなくても、「これが俺だ!」と開き直れればそれはそれでいいのではないか。もっとも生まれながらのエイズ患者に「人生を肯定しろ!」とは私には言えないが。

 結論。サラ金の社長になって『完璧!取り立て12の法則!』を読んだ五分後に『資本論』を読んで搾取に憤れ!三日月には明るくとがった部分だけでなく、暗くてわからない部分もあるのです。

 

 

 

 

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)