アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

贖罪としての女中奉公

 中島京子作『小さなおうち』文藝春秋社から2010年に出版された、直木賞受賞作だ。戦前から女中として働いたタキという女性が主人公のこの小説は、甥の健二が語り手となる最終章以外はすべて二つの時間軸で構成されている。現在のすでに老齢となった現代と、戦前の奉公先の平井家の時代のものである。平井家奉公時代の時代考証は優れた調査に基づくもので、当時の風俗を知る読み物としての性格も持ち合わしている。また、現代の時間軸での健二とのやりとりも、歴史認識という点において実際に経験した人間とそうでない人間の感覚の違いは示唆に富む。

 さて、肝心の内容で最も論じるべき点は「タキはなぜ日記にウソを書いたのか?」という点だろう。平井家の時子夫人が、その夫の部下である板倉氏とただならぬ関係にあることはタキも気付いていた。板倉氏が徴兵されると知った時子夫人は、板倉氏の徴兵前日に逢引しようとする。それをタキが「まず逢引したいという手紙を書いて返事を待ってからにした方がいい」と夫人に言い、結果として板倉氏と時子夫人の逢引は成功した、とタキは自作に記した。だが、その後最終章でそもそも手紙を板倉氏に渡していない事実が判明し、事態は混迷を極めることになる。

 この小説で私が一番違和感を感じたのは、タキの視点でしか語られていないという点だ。「主人のためにその心中を慮って自分の責任で決断する優れた女中」の挿話はまるで「主人を守るために」という点においてのみ彼女が葛藤しているようだが、実は自分のやましさを糊塗するための理由を布石として読者に知らしておきたかったからではないのか?タキは板倉氏のことが好きだった。それは雨の日に板倉氏のはしごを支えるときの描写にもうかがえる。ただ、私が思うにこの小説の本当に皮肉なところは、板倉氏がタキの気持ちに気付いていなかった部分にあると思う。板倉氏が残した絵で、タキと夫人がモデルになった手を握り合って窓の中にいる絵がある。この絵は健二が同性愛を疑うきっかけにもなっているが、板倉氏にとって二人の関係がそれをうかがわせるほど好意的なもの見えたということと、事実そうであったかは別問題だ。タキは時子夫人に嫉妬していた。だから、逢引の事実を改ざんしたのである。タキはおそらく悩んだに違いない。雇い主である時子夫人と自分の立場、板倉氏の夫人と自分に対する感情の違い、色々なことを考えて彼女は手紙を渡さなかった。その後、やましさを彼女は抱え続けることになる。自伝的小説を書いていて途中で彼女が逡巡し始めるのがそれをうかがわせる。それを踏まえると彼女が女中として働き続けたという事実も生涯結婚しなかったという事実も贖罪という性格を帯びてくるといえないだろうか?こうなってくると夏目漱石の『こころ』と同じテーマだと言えなくもないが。

 

 

小さいおうち (文春文庫)

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こゝろ (角川文庫)

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