ロボットを問う事は人間を問う事
ロボットを問う事は人間を問うこと。
著者でロボット工学者の石黒浩氏はそう強調する。
この本は、ロボットをめぐる問いをSF映画から考えるというもので、
『スタートレック』や『2001年宇宙の旅』などメジャーどころを下敷きに
議論が展開されている。
とりわけ興味深かったのは 、コミュニュケーションを医療ロボットの例をもとに考える第五章。
その中で病院に設置された簡単な受け答えができる人間型のアンドロイドが患者とのつながりを生み、「コミュニュケーション」を成立させているということ。
特に第五章以降で、印象的なところを引用すると
「社会性のループに入るというのは、要するに、人間が構成している社会の一員として認められるということだ。この人間のコミュニュケーション活動における強力なしくみを理解してしまうと、『ロボットにこころはあるのか?』『人間に勘定はあるのか?』といった、これまでの何台がいろいろほぐれてくる」(p135)
「言い換えると、人間の社会性の原理とは、実態がないけれどもこころとしか言いようがない、感情としか言いようがない、意識としか言いようがない何かが存在するということをお互いが信じ合っている、そのつながりの輪を指すことになるだろう。この社会性の中にメンバーとして入っていれば、こころがあり、感情があり、すなわち人間として認められるということに他ならない。
もし『人間とは何か?』をこのような社会的な面から定義するならば、ロボットが人間社会の一員となる日も決して遠くはないだろう」(p137)
「ロボットに競争心を入れると、私は人が、ロボットが自我を持った様に感じるだろうと考えている。ロボットには、そもそも『こころ』など入ってはいない。だがもし、人間社会のメンバーとして受け入れようという時に、ロボットに競争心が入っていると、人はそのロボットが自我を持っていると感じたり、『こころ』があるように思ったりすることだろう。そのことが人間自身を照らし、ああ自分にも自我があると人は理解する」(158)
「もし人間の社会関係がきれいにモデル化することができれば、これまで論じてきた『社会性のループ』もより具体的に説明できるようになるだろう。ただ、この際、たとえば『こころ』のメカニズムを知ろうという時に、ロボットの中にそれを具体的に再現しようというのではない。むしろロボットには何も入れずに、現に存在する社会的な関係性のメカニズムをただ受け止めるロボットを作るわけである。このようなロボットはあくまで表層的な社会の構成メンバーであるようで、しかしながらももしその中のAさんをロボットに置き換えても同じ現象が起こるのならば、やはりそのロボットは社会の一員だと認めざるを得ない。なぜなら社会的なメカニズムを再現するAさんにしても、その内面を検証することはできないからである」(165、166)
このように、本書は特にコミュニュケーションでロボットを考察したところがおもしろかった。
ロボットは涙を流すか 映画と現実の狭間 (PHPサイエンス・ワールド新書)
- 作者: 石黒浩,池谷瑠絵
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2012/01/27
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