医者って何??『ブラよろ』を読め!
『新ブラックジャックによろしく』を読み終えた。
臓器移植編なのだが、このテーマ自体はまたあらためて論じたい。
このシリーズの最後で、主人公が医療について、仕事についての本質的な問いを描いている。
「人間がいずれ死ぬなら、医療とは医者とは一体何なのだろうか?」
医療は人間の命をもてあそんでいるだけのものなのだろうか?
「いや、違う」と否定したところで、どういう反論があるだろうか?
時間だろうか、もしくは生きている質だろうか。
もし私が医者だったら、毎回毎回患者を治療してもその人が死んでしまうことにむなしさを感じるだろう。
職業人に徹するなら、たとえば外科医なら、まるでマグロを解体するように患者を扱うことになるだろう。多かれ少なかれ、仕事をしていく上では、一般人の感覚は麻痺させざるをえない。
私は物書きという商売をしているから思うのだけれども、たとえば私が貧困問題を扱ったとして、所詮まともな取材活動をし、生活をしている人間は、恵まれた人間である。
教育を受けなければ、文章を書けないし、はっきりといえば、頭がよくないと影響力などもてない。他人に共感するためには幸福な家庭に育つことも必要だろう。ただ単に権力者を引き摺り下ろしたいという野蛮な人間ならいざ知らず、まともな記者なら、取材対象者と自分との不公平な関係に矛盾を感じるはずだ。
強いものが弱いものを飯の種にしているだけではないのか?
一般に「社会を善くする」というイメージや役割を持っているとされる職業についている人間にとって、そしてそれを志した人間にとって、この問いを持たないなら偽者だろうと思う。
そんな職業に「意味」などあるのだろうか?そんなもの求めないという答えもあるだろう。もしくは「生きる意味」がないのと同様に「意味」などないという答えもあるだろう。
そうかもしれない。ただ、ある物事に、人物に、それは事件でもなんでもいいのだが、出会ってしまった場合、つまり、お仕事では割り切れない人や物事に遭遇してしまった場合、何か放っておけないような気持ちになる。
それをエゴと切り捨てるかは置いておいて、こういうところにしか、答えはないのではないだろうか?
つまり、「意味」があると思う一方、「意味がない」と思うような矛盾。ここを粘り強く問い続ける素質がある人にしか、本物にはなれないのではないか。
多分、私がこのどうしようもない世の中で記者という仕事をやるということを完全に捨て切れないのはこの問いがまだ自分の中でなくならないからだろう。