アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

人間の底力、も信じていい〜日本論を読み直す⑥〜

 私は基本的に能力のある人間が好きだ。性格のいい人間が好きだ。そりゃ基本的に誰でもそうだから、社会的に優れた能力のある人のところにいい話がくるのは仕方がない。古いと呼ばれるかもしれないが、基本的に日本の偏差値というのは人間を選別することを「きわめて正確に」行っている。認めたくはないが、やはり日本では優秀な人材はいい大学を卒業している。

 今回の海外就職のことにしても、私はそういう身もふたもない事実認識をもとに書いてきた。ただ、このコラムも最後になり、人間にはそういう「社会的な選別」を超えたところで力を発揮できる可能性があることも話しておこうと思う。

 皆さんは映画『ガタカ』をご覧になったことがあるだろうか?この作品は現代でいう人工授精が「普通」になった世界が舞台。主人公ヴィンセントは、父と母が時代遅れの「神にゆだねて」、つまり今で言う人間同士のセックスで産んだ子ども。テクノロジーが高度化しているため、遺伝子から疾患などの健康状態や寿命の予測まで産まれたときから(!!)される。

 ヴィンセントは産まれた時点から、心臓に欠陥があるとされ、予想寿命が30歳とされる。予想通り、ヴィンセントは虚弱体質で、この世界では劣等遺伝子の証拠である近眼も持っている。

 ヴィンセントの「失敗」にこりたのか、両親は次は「普通」の人工授精によりヴィンセントの弟を産む。医者から「1000人に一人の成功例」と言われた弟は兄よりあらゆる面で優れている。体力、知力、もちろん目もいい。

 そんな世の中でコンプレックスの塊として育ったヴィンセントの夢は宇宙飛行士。劣等遺伝子を持つ彼は、どれだけ努力しても血液検査ですぐに落とされてしまう。絶望し家出をした彼は、社会の最底辺である掃除夫として国内を転々とする。

 彼はNASAがモデルの宇宙研究所「ガタカ」の掃除夫となる。目の前で自分の夢を叶えたエリートたちが働くのを見て、彼は決心する。「自分が夢のスタートラインにすら立てないんなら、エリートに成り代わる」ことを。つまり、身分詐称である。

 エージェントに接触した彼は、エリート中のエリート、ジェロームになることになる。ジェロームはIQ200以上、体力もメダリスト並みだ。ジェロームは水泳選手としてオリンピックで銀メダルに甘んじたことで絶望し、車の前に飛び出し、半身不随となり今は車いすでの生活を送っている。

 ヴィンセントとジェロームの共同生活が始まり、ジェロームの血液をガタカに持ち込んだヴィンセントは面接もなしで、検査一発で合格。周囲にばれないかに気を配りながら、常人の倍以上の努力をし、とうとう宇宙飛行のメンバーに選ばれる。

 順調にみえたヴィンセントだが、ガタカで殺人事件が発生。被害者の直属の部下だったヴィンセントに疑いがかかる、、、。どうなるヴィンセント。。。。

 

 ネタバレのため、これ以上のストーリーについて書く事は控えるが、この映画は、SF的な背景ももちろんながら、ヴィンセントが自分の運命にあらがって夢に迫ろうとする姿が観客の胸をうつ。

 中でも最後の方で、ヴィンセントにとって遺伝子による選別を象徴する人物と幼い頃に競った遠泳で再戦するシーン。昔一度、絶対に勝てないはずの相手にヴィンセントが勝った。今回の勝負でもヴィンセントが勝ちそうになる中、相手がもう引き返そうと提案した時の、ヴィンセントのこの台詞。

 「あの時と同じだな。元来た岸に戻ることなんて考えてなかった」。

 私はこの台詞にこの映画の全てが凝縮されていると思う。

 

 実際社会というのは本当に不公平である。偏差値とかだけでなく、容姿や話し方、出自などあらゆることで人は競わされる。しかも、生まれてくる家や社会は選べない。優れた側に生まれればそれは生きやすいし、幸福なことだ。逆にそうでない場合はつまらない人生を歩むしかない。場合によっては自殺せざるをえないこともあるだろう。また、次の瞬間死ぬかもしれないという不条理さもある。

 この映画ではヴィンセントは「劣等遺伝子」として生まれさせられた。自分の能力や容姿が弟がそうであったように選べる社会なのだから、なおさらつらかっただろう。逆に、ジェロームはエリート中のエリートでありながら、「穫って当たり前」のメダルをとれなかったことに絶望し自殺を図る。この映画でも表現されているのだが、遺伝子は操作できるが運命だけは人間の好きな様にはコントロールできない。

 実際、私がこうして文章を書いているのも、幸運の産物に過ぎない。もし生きていくということに謙虚というものが必要だとしたら、こういう運命の怖さ、不条理を認識の根幹に置く事ではないだろうか。結果だけで判断するような社会になれば、息苦しくなるのは目に見えている。

 私はやはりリベラルというのは、人間が生まれてきた出自や環境などに関係なく、自分が物事を選択できる自由を徹底的に追求できること以外にないと思う。

 長々と映画とそれについての私の考えについて語ってしまったが、海外就職だって新しい挑戦には違いない。日本は、HIVの問題にしろ起業にしろ、新しい選択をした人間に対して「好きでやってるんだから社会の側は何もしなくていい」というきわめて情けない認識がはびこっている。そりゃ、確かに自分の理想や快楽のためにやってはいるんだけど、そういう選択をした時でもその人が致命的な被害を被らない様な制度設計なりで助けていくのが社会ではないのか?そうでなければ動物以下の生物にしかならないだろう。動物だって助け合いはする。

 最後にふさわしく暑苦しく語ってしまいましたが、社会のバックアップが弱い中、リスクを踏まえてしっかりと新しい挑戦をしてください。

 

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