アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

故郷の下の血と骨

普通、故郷という言葉は「暖かい」とかいった肯定的なイメージで通っている。そういう側面は確かに存在するけれど、その「暖かみ」が無知や無関心の上に成り立っているのではないのか、と中上健次著『紀州 木の国・根の国』(角川文庫、1980年)は問いかけてくる。

 本書は中上氏が生まれ故郷の和歌山県を新宮からスタートし、主に紀伊半島の沿岸部や南部を周り、大阪府の天王寺で終えるルポルタージュだ。「紀州とは敗れた者らの住む所」(P292)という認識の下に雑賀衆大逆事件紀州グループもテーマとして取り上げ、被差別部落などの「語られない歴史」を地元の人々との取材の中で描いていく。高野山建設にふさわしい場所を案内した二匹の犬を連れた老人が途中で消え、なぜか犬が空海を案内したという伝承から老人が被差別部落の人間だったと指摘する章は、和歌山県北部の出身で何回も高野山にいったことのあることもあるため、とりわけ興味深く読んだ。

 昔一度、この本を読んだ後と同様の感覚にとらわれたことがある。大阪と和歌山を結ぶJR阪和線朝鮮人労働者によって建設されたと知った時だ。特高警察の監視の下で作業していた/させられていたという事実に、自分が「普通に、楽しく」生きていることの意味を根本から問わなければならないと思わされた。私がノーテンキに明るいものや暗さのないもの、総じて「暖かさ」や「自然さ」を抱かせるものに対して、どうしても肯定的になれないのは結局のところ自分にとって都合の悪いものを見ないからそう感じるのに過ぎないとはっきり意識したのはこの時からだ。

 中上氏は終章で語る。「紀伊半島で私が視たのは、差別、被差別の豊かさであった。言ってみれば『美しい日本』の奥に入り込み、その日本の意味を考え、美しいという意味を考えるということでもあった」(P297)と。私も自分が故郷に感じる「美しさ」の意味を考えながら生きていきたいと思う。

 

 

 

 

紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)

紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)