アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

語学は、とにかく中身が大事

 次に、英語や現地の言葉などの「語学力」について話そうと思う。語学力ははっきりいって、大体の人が考えているほど重要ではないが、本当に現地でビジネスをしたいと考える以上、きちんと大学に行き、体系的に学習することが必要になる。

 私がジャカルタで学んだことの一つは、話す内容を持っているかどうかが最も重要という当たり前のようだが重要な事実だった。自分が日本でアメリカ人と働いたり、取引先の重要人物にアメリカ人がいることを考えてもらいたいのだが、彼が例えば日本語がものすごく上手でも話す内容が、「AKBかわいい」とかだけだった場合、「こいつは本当に仕事をする気があるのか」という疑問を持つのが普通だ。逆に日本語がつたなくてもしっかりした意見を言えれば、こいつはできると信頼される。

 ただ、ある一定のレベルまでは独学でできるし、日常会話までは語彙もついてくるだろうが、スラスラと流暢に文法的に破綻していない形で話せないと、「こいつは本当にすごい」とは見なされないのも事実なのだ。仕事のレベルが上がってくる度に微妙な判断を強いられるため、細かいニュアンスまでしっかり把握できるのかの一つの基準になるということだと思う。

 さらに、言語を覚えるということは「相手の生活に入って行くこと」だということ。ある時、私は運転手付きの車を会社からあてがわれた友人と一緒に空港まで行き、友人の許可を得た上で運転手に二人きりで家まで送ってもらった。私はタクシーなどに乗る際、助手席に乗るのだけれど、彼はそういう態度に感じるものがあったのか、先ほどまで友人に取っていた態度とは別にフレンドリーになった。

 もちろん会社の同僚同士ということもあるから一概には言えないのだが、私が「なんで彼(私の友人)にはそういう風に話しかけないの?」と聞くと、「恥ずかしいから」と応えた。もちろん、それはもともとの言葉の用法もあるから、直訳はできないけれど、私には、友人が勉強熱心でインドネシア語を正確に使える分、「冷たくて自分はかなわない」という印象を与えてしまっていたのかもしれないと思う。

 私はよく道路でものを売っているカキリマという屋台を営む人々に話しかけてインドネシア語を覚えるところから学習を始めたから、その運転手には通じたのかもしれない。

 インドネシアで働いてみて思うが、インドネシア語を真剣に学んでいる日本人はほとんどいないと言っていい。正直言って、現地邦人社会では「ブロックM大学」という日本人用の飲屋街で水商売のオネエちゃんに教わる人々がほとんど。駐在員事務所の現地スタッフは英語を話せる人が確実にいて、学ぶ必要性もないからだろう。

 日本語を話すという時点で、ある文化的な習慣に束縛されていることも学べた。有名な「空気読め」ではないが、話し方や微妙なマナー、振る舞いを含めた全体が「日本語を話すという事」なのだ。