読解はその人の人生。教えることはできない。
最近、つとに読むということは、その人の人生だと思うようになった。
ある人には皮肉に思えることも、ある人にはそうでない。
ある人には過激でもある人にはまとも。
最低限度の論理性や客観性は必要だが(この辺りがいかんせん一番重要な気がするのだが、、、)、それ以上についてはもう読み手次第。
送り手の考えなんていうのは、どうだっていいといっていい。
そういう意味では読むということは、ひどく主観的で、心がけるにしても気分の影響もおおいに受ける、あやふやなもの。
その辺りを分かった上で、作品を楽しめるかどうか。ここがその人の精神の自由さを決める決定的な要素になる。
日本の国語教育では「作者の考え方を答えなさい」というような問いが跋扈しているが、はっきりいってナンセンス極まりない。
それは自分がこう思う、という判断や感覚を放棄して、にせの「客観」という誰かを言い訳にしているだけなのだ。