いい大学にいく意味。実はそれは学生アパートにある。
最近思うのだが、いい大学にいく意味はやはりいい教師といい友人に会えること以外にない。
私は学生アパートに住んでいたのだが、そこでITの若手企業家との付き合いができたし、ゲイの優れたLGBT活動家との繋がりもできた。ある教師からは美食なども。
結局のところ、優れた情報や経験にアクセスするには、いい人材が集まる環境にいかなければ駄目だということ。
当たり前のようだが、強調しすぎることはないと思う。
あまりこういうことはいいたくないが、Fランク大学でフランス思想家のデリダを読んでいる「生徒」はいるかもしれないが、「層」は存在しないということだ。就職活動はその露骨な例だろう。
著名な例を言えば、トキワ荘なんてその例だろう。みんなで意識的無意識的に刺激しあってたわけで。
最近、セクシャルマイノリティの取材をしている中で、実際に人にあって具体的な人格と触れ合うこと以外にあらゆる能力の基礎は産まれないと再確認するようになった。
あることを学ぶとき、それを「持っている」人のところに行かないといけない。知識が欲しければ学者と、金が欲しければ金持ちと、という。
直接的な面会時間をどれだけ集中して投下できるか。自然な御付き合いをできる関係になれるか。
将来は不安定だが、私は「安心材料」として、その業界や分野の第一人者に自分の考えを話してみて反応が並以上をキープできるかどうかを重視している。
年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学
- 作者: エンリコ・モレッティ,安田洋祐(解説),池村千秋
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