アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

たかが夢、されど夢〜日本論を読み直す⑤〜

 

 さて、今回の連載も残すところ残り1回になった。

 この連載のお読みの方々は、海外就職をしたかったり、現にしていたりする人たちだろうから、当然、海外で働くことを「夢」にしていることと思う。最後にふさわしく、「夢」について書かれた本で締めるとしようか。

 今の日本社会では小さい時から、「夢を持ちなさい」と大人から言われ続けて子どもは育つ。こういう傾向が当たり前になったのは、高度経済成長が落ち着き、日本全体が豊かになってからだ。つまり、経済的な平等感覚の上に「誰もが努力すれば、なりたいものになれる」という自己実現に対する可能性が多くの日本人に肯定されてきたということ。高度経済成長時代の「ガンバリズム」とも違うニュアンスがそこには含まれている。

 ただ、私はいつも疑問に思うのだが、「夢」なんてそんなにいいものだろうか?「なりたいものになる」という幻想のせいで不幸になっている人々の方が圧倒的に多いのではないか?ある一部の「夢産業」の人間たちを喜ばせているだけではないだろうか?

 普通、夢などかなわないことなど誰でも知っていること。

 

 陸上で100メートルハードル銅メダリストの為末大氏の『諦める力』、『負ける技術』は、それについて現実的な考え方を差し伸べてくれる名著。

 言うまでもなくアスリートの世界は、才能の多寡を競う世界。つまりぶっちゃけ、親にいかにいい体に産んでもらうかが全ての世界だといっていい。その中では当然情けなくなるほどの超えられない壁がある。自分が仮にどれだけ練習して鍛えても、練習全然いないやつにあっさり負けてしまう不条理さ。しかも、スポーツで飯が食えるのは本当に一部。競技を問わず、メダリストでも難しいのが当たり前だ。

 為末氏はもともと陸上の花形の100メートル走の選手だった。国内では常にトップだが、ある時、世界のトップクラスとの壁を感じ、テクニックでカバーできる100メートルハードルに競技を変えた。

 為末氏はもともと「世の中をあっと言わせることが目的」だったらしいから、日本人が陸上競技でメダルを取ることが目標だと設定し直したとのこと。

 その上で、為末氏は「夢」について、あきらめられない選手が人生を台無しにしている姿を多く見て、人生は勝ち続けることはできないのだから、負けることを含めた心のあり方を考える方がいいと説く。

 例えば、「自分とはこんなもの」という納得感を持てるような形で自分の限界を認識した上で付き合うのいいと書いている。さらにある程度の「醒め感」もこれからの時代は特に重要だとも。

 私たちは基本的には夢を持ちたがる生き物だ。どれだけ冷めた人でも何かしらの世界像や理想、やりたいことを持っているはずだ。そうでないと基本的にはまともには生きられないだろう。また、自分の「したいこと」に没入した時期がないと、限界もわからないのも事実。

 ただ、「挑戦」に縛られすぎるのもまずいのだ。私が海外就職について、もともと実力がある人が短期間だけ行って帰国することを勧める理由はそこにある。「ああ、楽しかったな。いい経験ができたな」という風に思えるところで切り上げればそれで十分ではないかと、無駄なリスクを負って苦労する必要などどこにもありはしないと、今でもそう思う。

 身もふたもない言い方だが、夢などかなわない。それが普通だ。行き詰まったら、「やりたいことをやれた」と思って、方針を変えることだ。

 

 

 

 

負けを生かす技術

負けを生かす技術