アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

ポルノグラフィティとしての洪作 

『しろばんば』(井上靖著、新潮文庫)の舞台は戦前の静岡県のとある山村で、洪作という少年が主人公だ。彼は実の両親から離れ、曾祖父の妾であったおぬい婆さんと二人で祖父母が持つ土蔵に住んでいる。生まれた後、洪作がおぬい婆さんになついて彼女が住む土蔵で生活することになったためだ。洪作を溺愛するおぬい婆さんをはじめ、友人や親類、教師など村の住人を中心に物語は展開し、豊橋や三島などの都会での親類などとの交流も洪作に影響を与える。最終的に洪作は父の赴任先の浜松の中学校に進学するために、村を出ることになるのだが、恋愛や友情、甘えと自立など生きる上での重要な問題と向き合い、精神的な成長を遂げていることに自分でも気づくのであった。タイトルの「しろばんば」は白髪のお婆さんという意味で、夕方になると飛んでくる虫を指す。日が暮れると青白く見えるため、「おぬいお婆さんからの青年の自立」という小説の主要テーマを暗示している。

 580ページ前後もある長編小説の本書を強引に要約すると上の通りになるのだが、基本的にこの作品は大人のための童話だと言っていい。小学生くらいが読んでも心理描写が客観的すぎて感情移入しにくいだろうし、ある程度年をとってから「自分もこんな感じだったなあ」と振り返るのに適しているように筆者も描写しているように思われる。温泉に入っている時に、義理の伯母のさき子に抱く、恋心とも母親への愛情とも知れぬ描写がその例である。このように子供ながらの無秩序さや性の芽生えなど、自分が当事者であった時は捉えにくかった感情をうまく描写しているのが本書の特徴だ。また、当時の風俗の描写もいささか「都会と田舎」を描くには典型的すぎるきらいがあるが詳しく描かれているため、文化史の点からも読んでいて興味深い。

 先ほど私はこの作品を大人のための童話と書いたが、正確に言うと「地方から受験で勝ち上がってきた男のためのポルノグラフィティ」のようにもこの作品は読める。洪作はいい家の坊ちゃんだし、頭もいい。村の人間と仲良くしているが、都会への憧れを隠さないという点からも村からの脱出を願っているのだ。村だって戦前に彼が見るほどお気楽な雰囲気だったかどうかははなはだ疑問なのだが、実際に都会で出世した人は何の疑いもなく彼を肯定できるだろう。さらに、この作品は非常に洪作にとって実に都合のよいタイミングで「甘えられる」女性が二人死ぬのである。これから読む人のためにその二人の名前はふせるが、二人のうちの一方が死んだ時、「やっとのことでこれでひとりになれたという解放感もあった」(548ページ)という洪作の発言には、「女に甘えるだけ甘えて感傷にひたるだけで束縛から解放されるんなら気楽でいいよな」と嫌味を言いたくなった。文芸春秋辺りを読むオジサンに評判がよさそうな本であることは間違いなさそうだ。

 

 

しろばんば (新潮文庫)

しろばんば (新潮文庫)