アジアで就職したらブラック企業だった~南の島は蟹工船~

東南アジアでブラック企業に就職し、ストレスから入院し逃げ帰ってきた人間のブログ。        注・このブログはモデルとなった現地企業で働く人々などへの取材をもとにしたフィクションです。ただ、実際に起きている「空気感」は本物です。その辺りを味わっていただければと思います。

親殺しの文学

風の歌を聴け』(講談社村上春樹著)は、喫茶店でかかっているムード音楽のような小説だ。なんとなく人の気を引くような、誰でも共感できる作りになっているが、店を出た後何かが残るかというと何も残らない。饒舌なくせに無内容な本なのである。

主人公は東京の生物科の大学生で夏休みを利用して港町に来ている。ひょんなことで出会った鼠という、自分が金持ちでありながら「金持ちは何も考えない」から金持ちを嫌う青年や、酔っぱらった勢いで部屋まで主人公が送りその後恋愛関係になる女の子なとどの一夏の交流をメインにストーリーは展開していく。最終的には三人は別々に分かれ、鼠が自分で書いた小説をクリスマスに主人公に送る形で交流は続くが、女の子とは二度と会うことはない。

この本は読後感がいくらか清涼感をともなうだけで、内容は特にない。それがこの本の特徴で「なんとなく」のオンパレードなのだ。主人公たちがよくいくジェイズ・バーという飲み屋があるのだが、ここのバーテンは「在日」中国人だ。このバーにはフランス人も来る。これに何か意味や意図があるかというと「なんとなく」国際的な感じがするだけ。女の子の指が四本なのも「なんとなく」かわいそう、ショッキングなだけで、主人公が女の子にもてるのも「なんとなく」ロマンティックで男の自尊心をくすぐるだけ。主人公も良くインテリ学生にありがちなタイプで、何かと教訓めいた、深遠そうなことを「結局、そういうことだ」という風に言い切り、読者の「楽して頭がよくなりたい」願望を満たすだけ。本文中に教養めいた文言がちりばめられているのも、それをを引き立てる効果を果たしている。

この本は見せ方がうまい。商売上手な本なのだ。「真実とは?」とかいったメンドクサイ主題はない。構成も複雑でなく、考えずに読める。自分を疑わずに、自分の世界が壊れない程度に「ブンガク」したい人のための本なのだ。こういう退屈な小説が文学と言われるのも、頑固な親とか芸術の大家とか対決して乗り越える対象がなくなった時代ならではだろう。この無内容さと私達は共犯関係にある。親殺しをするように、弁証法的に作品を高めることが非常に難しくなった今、私達は自由を謳歌しているように見えても果たしてそれがどこまでいいことなのだろうかと考えてしまう。「強い自我がないと批判するなら、お前はどうなんだ?」。村上春樹に切りかかれば自分に返ってくる、のだ。

 

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)