ヨーロッパも日本も、アメリカのフリーライダー
日本は第二次世界大戦での敗戦の経験から、「平和主義」を考え方の基本にすえることが多い。
この「平和主義」の前提には、アメリカの「核の傘」以来の軍事力があったのは、常識である。
軍事力が国際社会について及ぼす影響についての必読書となるのが、『ネオコンの論理』(光文社) だ。
以下はポイントの要約。
第一次大戦後から弱体化したヨーロッパに代わって世界秩序を圧倒的な軍事力によって形成してきたのは、アメリカであり、ヨーロッパをはじめ西側諸国はその庇護にあって、軍事費にカネをかけなくてもよかったという経緯を指摘。
冷戦中、アメリカが国際連合をはじめ、西側との多国間協調の方針をとったのは、「西側」という結束をしめすためであり、特に「欧米」という観念はヨーロッパの安全保障上、またイデオロギー上重要であったため、守る価値があった。
ただ、冷戦が崩壊して、アメリカの国そのものが崩壊させるような可能性のある国はいなくなり、アメリカが単独で圧倒的な軍事力を持つようになる。
コソボ紛争のときに、ヨーロッパは自分たちの域内での紛争すら自力で解決できない現状を暴露してしまったばかりか、アメリカにとっては自分たちの軍事行動を妨げる「足手まとい」になるとの認識をもたせることになった。
冷戦中のヨーロッパの軍備は基本的に仮にソ連が攻めてきた場合、アメリカの本隊が上陸するまでの時間稼ぎをする陸軍兵力がほとんどであったため、アメリカのように世界展開する軍隊ではない。
そしてコソボ紛争のあともヨーロッパ内の事情として、基本的に軍備にカネをかけることをやめ、福祉などに予算を向ける方針をとるようになった。
アメリカから言わせるとこの傾向はフリーライダーであり、軍事力を嫌う「リベラル勢力」はあくまでアメリカの軍事力があるからそういう理想論がいえる、と。アメリカという「世界の警察」がいるから、その庇護にある豊かな国は理想論を唱えられるのであり、それを踏まえない議論はただの空論である。
EUが結成できたのも、アメリカがヨーロッパに軍隊を置き、ドイツが再び大国化する「ドイツ問題」についてアメリカが介入すると決定したからであって、単独の力ではない。
ヨーロッパとアメリカの外交姿勢で最も違うのは軍事力の違いである。
ヨーロッパは自国だけで「脅威」を殺せるとは限らないため譲歩するところは譲歩するが、アメリカは圧倒的な力を持つために脅威をつぶす方に考える傾向がある。
ヨーロッパは歴史的な経緯から権力政治による平和を追求することをやめ、外交や経済による方向に方針を変えた。域内の外交の「課題」はあげるが、アメリカのように外交の「脅威」は解決しようとはしない。
ヨーロッパは自分の域内の崩壊を防ぐことが重要だからそれは当然。
基本的に法と秩序を守らせることは、自分たちの統合の理念に通じるため、アメリカを押さえることにこだわるのはそこにある。守らせられなければ自分たちの統合の原理、目標の実現性がゆらぐから。
今後も軍事力が重要になることは変わりがなく、従来よりもアメリカが単独主義的になることが「できる」状況なのが、それに拍車をかけている。
その中で、「欧米」というくくりの意味がどんどん希薄化している。つまり、今までのように組む意味というのが薄れる以上、安全保障上も世界秩序上も、冷戦時のような結びつきは期待できなくなるのでは。
以上、引用終わり。
これはヨーロッパのことを基本的には論じているが日本も同じ。
一国平和主義と批判されたが、核の傘の下で平和を享受し、経済力にエネルギーをかけることができた。
日本も「日米」同盟などこれまでの結びつきは希薄化していると思って間違いないだろう。
ヨーロッパと日本の違いは、戦略のあるなし、か。
『ネオコンの論理』を実際に読むまではいいイメージはなかったが、よむと論理がシャープで説得力のある本。好き嫌いは置いておいて、アメリカの保守の言い分として必読。
ちなみに、国際政治については『戦後史の正体』を書いた、孫崎享氏の『これから世界はどうなるか』(ちくま新書)が概括している。