小説⑧〜長い夜〜やはり日本人は日本人だった
KやYに2人を加え、会社近くの居酒屋に繰り出した。
K「あの野郎。ぶっ殺してやる。」
いきなりKの語気は荒い。
Kは創業者がまだ生きているころ、直々に採用された最後の一人だ。私立の最難関大学の最上位学部を卒業後、Jに入社した。本人は学生時代からパンクバンドにのめり込み、学校にはなじまなかったことが大学時代まで尾を引き、インドネシアまできてしまったというわけだ。
実はKがTを恨んでいるのには理由がある。実はTはKと同じ大学だが、学部は偏差値的に下の学部だったのだ。てなわけでコンプレックスからKをいじめ始めた。今でこそ、学級崩壊状態のJ社だが創業者が生きているころは、一応それなりの統率を見せていた。人柄でカバーしていたということだろう。
ただ、創業者が死に、Tが死に際になって急に親切にしたこともあり、部長に就任。その後がKの地獄の始まりだった。
Tが部長に就任したころ、ちょうど日系企業の進出が激化していたこともあり、工業団地で開所式が毎日のように開かれていた。工業団地はKの家から往復で4時間以上かかり、業務は夜の12時まであるから、朝の7時に起きて実際は17時間労働をほとんど休みなしで続ける月もザラだったらしい。しかもその開所式がイスラムの祈祷師が羊の頭だかなんだかを埋めるというそれだけのためで、実質10分。これではKが怒るのも当たり前だ。
不幸話ついでを言うと、Kはその尋常でないハードワークで、盲腸を発症。彼が強がりなのもあって無理に働き、都合1カ月くらい入院するはめに。明らかにカイシャに原因がある病気だった。
さて、飲み会の席ではそれぞれの自己紹介がされた。メンバーは私も含めて、基本的にはみんな頭はよさそうな印象を受け、「偏差値の高い一流大学を出て、何か物足りないからインドネシアに来た」というところが共通していた。なぜか、往時の学生運動にシンパシーを覚えていたり、どこか「昭和」というか古い印象を受けた。
今、インドネシアは経済成長が進んでいて、閉塞感のある日本にはない雰囲気が確かに、ある。多分それにひかれて海外に就職に来たのだろう。昔の都会にある昔の雰囲気のある店には、古い価値観を持つ人が集まるのと同じで。
あと、やはり実家が自営業だったりして裕福な人がほとんどだった。なんというか私も含めて、何かに挑戦できるというのは、結局は実家がどのくらい裕福かによるのだと思う。貧乏な人は日々を乗り切っていくのに必死だからだ。
日本では博士号取得者など高学歴で就職ができない「ポストドクター(ポスドク)」が問題となっているが、その層も社内に3人いるという。大学は私立の一流大学なのだが、学部は社会学部や経済学部、国際政治学科。そして大学院進学の理由は「なんとなく」だった。今の時代、これだけ「ポスドクは食えない。大学教授にはなれない」と言われてるのに院に進学する人が食えなくなっているのはわけがあるのだろう。
その日は結局、会社の愚痴や私が歓迎されて「要するにTがガンなんだ」というところで意見が一致して幕を閉じた。