小説② 〜「南方になんて行くのか!お前!」と父に罵られ〜
私はJ社に内定をもらい、両親に報告した。それを聞いた父は開口一番、「お前!南方なんていくのか?ジャカルタ?危ないぞ!」とやめるよう諭された。私はインドネシアには基本的には銃は出回っておらず、それなりに安全だと思っていたこともあり、それを説明した。父は「まあお前は言い出したら聞かないからな。母さんにいきなり言うとショックだろうから、とりあえず俺の口から話しておく。その会社の名前とインターネットのホームページがあれば、それをメールで送れ。母さんに見せるから」と。
南方とは第二次世界大戦で東南アジアに旧日本帝国軍が侵攻した時、東南アジア地区に対して付けられた名称で、まさか田舎の人間とはいえ父がそのような言葉を使うのにはいささかびっくりした。
私が思うに、基本的に日本人の東南アジアに対する認識というのは第二次世界大戦以後もほとんど変わっていないと思う。仕事で東南アジアと関係しない限り、基本的には国の違いなどはなく、東南アジアは「東南アジア」、素朴に言うと「南方」なのだろう。ヨーロッパと北米の違いを考えずに「欧米」と呼ばれる様に。
私は一旦住み慣れた関東の一人暮らし用の部屋を引き払う準備を進めながら、友人やこれまで世話になった人が開いてくれる送別会に毎晩忙しかった。
同い年の友人からは「いやー、インドネシアにその年で行くなんていい経験じゃん!すごい」。
大家のおばちゃんからは「私の友人でね、ジャカルタの駐在員の人がいるんだけど、その人に話したら『ぼくは生まれ変わってもジャカルタに生きたい!今でも何度でも行きたい!』って言ったわよ!いいところなんでしょうね。はがきちょうだいね!」
大学の先生からは「うらやましいよ、全く。私らの時は外国なんて行けなかったし。君らみたいに行きたい時にどこへでもいけるなんていい時代になったもんだ」
こうした声に支えられ、私は実家に戻り、支度を整えた。母は涙ぐんでいた。それほどのことかよ、と内心思いながら、田舎の人間にとっては、一般的でない海外就職を自分の息子がすると知ったとき、やはり心配でいられないのだろう。
父に車で空港まで送ってもらいながら、私はジャカルタに旅立った。
空港に着いた私は、同じ自動車部品業界で働く友人のこの一言を思い出していた。
「Jって日本で就職できなかったやつが行くところって話聞いたことあるから、気をつけろよ」