日本は最高の美食国
日本のよさなのだが、やはり食べ物が美味しいこと。現地でも日本食レストランの進出は進んでいて、痛感するのだが日本食はおいしいし、何より健康的だ。私が向こうで住んでみて思うのが、中華料理や日本料理、フランス料理など世界的に展開している料理のジャンルは普及するだけの理由があるということ。実際、インドネシア料理はあまりおいしくない。初めは観光気分で食べたりできるが、1年、2年となると違ってくるし、何より栄養が不足する危険がある。
インフラの面でも差がついている。インドネシアで東京よりも美味しい料理店が層として薄いのは、世界的に有名な渋滞に見られるように、流通がきわめて悪いため食材の輸送に時間がかかりすぎることがあげられる。日本は道路や鉄道、空港など輸送網が世界屈指のレベルで整備されており、特に東京は料理店の質量とも世界でトップクラスだ。私はよく下北沢で食べたり飲んだりすることが多いのだが、刺身を食べたあと、イタリア料理を食べながらワインを飲んで、最後にバーに入るなんていうサイクルを徒歩5〜10分くらいでできる都市はおそらく世界で東京くらいではないのか?
さらに、学んだもう一つのことは、自分が日本という国家に属しているということだった。私はたまたま日本に生まれただけで愛着は年々薄れているのだが、日本政府が発行するパスポートで世界中の国にフリーパスで入国できるのはメリットだと言わざるを得ない。身近なところでは円もそうだ。円が強いから海外就職なんてことも可能になるし、現地に行っても本土よりもリッチな生活ができる。前述の「人は平等でない」と同じように、そもそもこういう特権的な身分であることを生かして経験を広げられるのはいいことだ。
ただ、逆に特権を持っているという事は、周囲から様々な目で見られることを意味する。東南アジアの人々は安倍首相の発言をはじめ、日本政府の動向に注目しているし、日本の中でだけ通用するような「右翼的」な言説が通用しないことを痛感する。開き直って凝り固まっている人や歴史も知らずにナイーブに日本すごいという人はものすごく多いし、現地の人々だって面と向かって批判するケースは少なくなっているけれど、根深い問題として残っていることは間違いない。実際、タクシーの運転手から、渋滞で日本車で埋まった道路を走っているときに、「この国は誰のものなんだ」と嫌みを言われた。
国際的な感覚というのはこうした周囲からの目線を意識した上でどう振る舞えるかを考えられる能力だと思う。
日本社会について、改めて気づいた事を書きたいと思う。私は日本人は基本的にはまれにみる「いい人」の集まりだと思う。財布を落としたら届くし、親切だし。ただ、その範囲が問題で「日本人で、半径3メートル以内」なのだ。電車で咳をお年寄りに譲る。これ自体はいいのだけれど、社会保障など目に目得ない、つまり、目の前に人が見えない問題について根本的に想像力が働かないのだ。
一般大衆のレベルだけでなく、日本の場合はエリートとされる人たちにもこの種の構造的に物事を把握する能力が欠けている。自分たちが特権を持っているという意識すらないのも問題だ。
私が思うに日本は文化的に貧困なのだ。あのアメリカ全土、下手をすれば世界中を買い占められるほどのバブルにあってすら、歴史に名前を残すような芸術作品は生まれなかったのがその証拠だ。近代以降、欧米に追いつけ追い越せでやってきた国の限界なのだと思う。人間の幸福など「金にならない、役に立たない」ことを考えることをしてこなかったのだ。
そしてそういう国の大学はもう推して知るべし。国や企業の繁栄のための制度であって、大体みんなから反対を受けない「数字」が評価される産業や理系の研究分野は世界でトップクラスだが、答えが一つに決まらない問いを立てて考えて行くという分野はお寒い限りだ。
日本は日常生活で同調圧力が強すぎて、みんなと違った意見を言えばたたかれる。あれだけ個性を強調しておきながら、本質的な個性など必要としていないのだ。
私は自動車部品メーカーで働いていたからよくわかる。ポルシェやフェラーリのような車が絶対生まれないどころか、これから車の魅力自体がなくなることを。だって、車にロマンを求める以外に電車に勝てるところなんてあるのだろうか?環境面でも維持コストでも車を持つという事はお金がかかる。どうせ同じ買うなら、贅沢をできるだけしたいのが人情ではないだろうか。
また、日本は移民に厳しい国でもある。入管の評判の悪さは有名だし、茨城の牛久ににある施設の待遇はひどい。中国や韓国からの移住者がいてもなかなかなじめないとか本音を漏らすのは、日本の閉鎖性を物語っている。
うちに対して厳しい国が外に対して開いているなんてありえない。例えば、マスコミ。日本では首相など社会的に地位が高い人に対して「偉い人」として接するが、インドネシアでは本当に「対等に」接する。もちろんお友達ではないから最低限の距離感はあるが、非常にオープンだ。知り合いの記者はインドネシアの金融関係のトップ2にインタビューを申し込んだらすぐに受けてくれたといって驚いていた。アメリカでは大統領に手紙を書くのが普通だし、読んでくれるかは別としてそういう習慣や偉い人の立ち位置の違いは社会の特質をよく表している。